私の原点 昔の旅行スタイル

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大昔のお話です。(1976年夏)
当時は、インターネットはありません。
カルチェラタンの学生相手の旅行会社に
行き、パリからブリンディッシ(イタリア
半島の長靴のかかとの部分に位置する港町、
ギリシア行きのフェリーの発着港)までの
往復(二等)・各駅停車可・2か月有効の
B.I.G.E.という鉄道切符を購入しました。
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この切符で、イタリア南までの都市を
途中下車して、旅行しようと考えたのです。
billet individuel de groupe étudiant
学生団体チケットの個人バラ売り切符?
料金はちょっと忘れてしまいましたが、
凄く安かったです。
この旅行方法は、帰国後、会社勤めで
インバウンドの仕事をしていた時に使って、
フランスの旅行会社に売り、成功しました。
フランスからの日本行きの格安ツアーで
募集人員未満でも(団体旅行でなくても)
個人旅行ベースで安く、日本の地上費用を
上げる方法として、この鉄道切符(普通・
自由席)を使って、途中下車していく方式
(日本国内)を使いました。
学生時代の私がパリからイタリアに、
実際に途中下車していったルートは、
パリ➡ジェノバ➡→フィレンツェ➡ローマ
➡ナポリ➡ブリンディッシ
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 (ここで、別途、フェリーの切符を購入、
ピレウス→アテネ→ピレウスはフェリー)
ブリンディッシ➡ボローニャ➡ヴェニス
➡トリエステ→パリ
トリエステ⇔リエカ(当時のユーゴ
スラヴィア)は、バス移動。
この旅行は楽しかった思い出ばかりです・・・
列車移動の際の、各国の若者たちとの
他愛もない会話。
ユースホステルやペンションでは、誰かが
旅行中エピソードをしゃべり始めると、
際限もなく、会話は続きました。
いったい、皆、何語で話していたのか
不思議に分かり合えていました。
ナポリでは、市場の中に入っていき
(今でも市場は大好き!)、
粗末なかまどで焼いたピザを食べ
(美味しい!)、カプリ島に渡り、
グロッタアズーロ(青の洞窟)にも
入りました。
ナポリからアマルフィ、ソレントに
向かう乗り合いバスは、断崖絶壁を
縫うように走り、極限のスリルを
味わいました。
狭い道幅、カーブの続く道路で、
バスが道や崖からはみ出すよう
になる時もあります、
それこそ「命あっての物種」でした。
ブリンディッシからピレウスへのフェリー。
出航前、切符を買う時、あれほど念を
押していたのに、乗ってみると私に
あてがわれた場所は、船中ではなく、
甲板の上でした。
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真夏とはいえ、地中海の真夜中、甲板を
吹く潮風はあくまで冷たく、凍えるような
寒さを覚えました。
甲板に集められていた安運賃の若者達は皆、
寝袋持参で、パリから2か月ほどの旅行
予定で手ぶらに近い軽装は私だけ、私は
富士登山に軽装で行く無謀な旅行者の
ようでした。
アテネのユースホステルの屋上で泊まった
時は、(アテネは夏まったく雨が降りません、
屋上を安く開放しています)
全然寒くありませんでした
だけど、地中海の上は、陸地と違って、
寒かった・・・
学生時代の貧乏旅行ではいろいろな
経験をしました。
アムスのスリープイン、マドリッドの
ペンションアマデオ(日本人バック
パッカーの定宿)、リエカの島などの
思い出が、ペナンからの東南アジア
諸国への旅行をしていると、
様々に心に浮かんで来ます。

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